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guide to Basque

ゲルニカ・ルモ

「平和」のシンボルとなった村、ゲルニカ(Grnika-Lumo) 深い山々に何千年前から住んでいるバスク人。ローマ帝国が生まれるもっともっと昔から、彼らはここ、ゲルニカにあるオークの木のもとで、議会を開いてきました。世界で最初に「自治」を取り入れたのもバスク人だとも言われています。その後、この地に勢力を広げたローマ帝国も、ナバラ王国も、フランスも、表上は、この地バスクを自分達の領土だと主張しても、彼らのゲルニカの木の元で行う自治は認めていたのです。そのため、いつしかこのゲルニカのオークの木は、バスク人にとって「自由の象徴」となりました。 「自由の象徴」であった、この町が、「悲劇の町」となったのは、1937年4月26日。当時、バスクはフランコ軍と敵対関係にあり、フランコ軍と、それをサポートするドイツ軍とともに、この平和だった小さな田舎町に、3時間にわったって約200トンの空襲が行われたのです。その当時のゲルニカの全住民7000人のうち、1500人以上の市民が命を落としたといわれています。 パリ博覧会のために壁画を依頼されていたピカソが、この爆撃を知り、憤怒をこめて描いたのが、あの有名な「ゲルニカ」と呼ばれる作品です。戦争中はピカソの意向と安全のため、アメリカのニューヨーク近代博物館に置かれていましたが、1981年にスペインとアメリカの交渉が成立し、現在はマドリッドのソフィア王妃芸術センターに展示されています。