鮮やかな色合いがなんとも美しいエスパドリーユ。起源はピレネー山脈の周りに位置する現在のバスク地方、カタルーニャ地方、オクシタニア地方だといわれています。特に18世紀を過ぎたころからは、スペインのバスク地方のピレネー山麓で主に生産されてきました。
そもそも、名前の由来ともなっているのがこの靴の材料である“esparto”ーエスパルト(アフリカハヤガネ)という植物の繊維です。当時は、この植物の繊維を焦がし、それを編み込んで靴底を作っていました。上部は帆布(カンバス)や木綿、そして動物の皮で作られており、色合いと言えば、黒か素材が持つ自然な色。週末には、明るめの色のエスパルをはき、平日の作業の際には黒目のエスパドリーユを履くのが一般的でした。近年になってからは、エスパルトに加えて、コウマという植物を乾燥させて作る、ジュート縄の靴底を利用するのが一般的になってきました。当時は、エスパドリーユというと、質素で、鉱山労働者や、漁師、農民の履物でした。
18世紀になると、アラゴンの王の娘に愛用されたという記述が残っており、19世紀にフランスのピレネー山麓にある”Mauleon村”がエスパドリーユの生産の中心地となり、一時はその小さな村に30余りのエスパドリーユ工場が存在したこともあるそうです。20世紀に入り、産業化の流れで、エスパドリーユ作りも一部工場で生産されるようになるまでは100%手作りで作られていました。そのころの主なターゲットというと北フランスの鉱山労働者でした。過酷な労働に用いられたこともあり、すぐに新しいエスパドリーユに買い替えをしなければならず、当時かなりの数の需要があったそうです。
そして1940年代に入ると、アメリカを中心にそのファッション性が注目され、当時のトレンドのファッションリーダーであった、ソフィア・ローレン、ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール、グレース・ケリー、リタ・ヘイワ―スや、パンプローナの牛追い祭りに心を打たれた、アメリカの作家ヘミングウェイや、あの有名な画家パブロ・ピカソなどの著名人がこぞってエスパドリーユを履くようになり、一気にそのファッション性が花びらきます。そしてファッションデザイナー、イブ・サン・ローランなどの影響もあり、それまでになかったハイヒール型のエスパドリーユも人気を博しました。
このエスパドリーユ、100%自然の素材のため、残念ながら「一度買えば一生もの、、」というわけにはいきませんが、現在では様々なデザインや色合いがあり、一足20ユーロ前後とお値段もお手頃。靴底に使われている素材には、自然の殺菌作用もあり、裸足で1シーズンから2シーズン楽しめるこの靴はとっても気持ちがいいです。現在はフランスバスクを中心に、そしてサンセバスチャンにもエスパドリーユ専門店がありますので、是非バスクにお越しの際は、バスクの思い出に1足いかがでしょうか。